カンボジアの歴史

皆さん、こんにちは
インターンの辻井です

さて、本日はカンボジア特集日です
現在、テラ・ルネッサンスでは
カンボジアスタディーツアーが企画されていますが、
そのカンボジアの歴史についてお話ししたいと思います

13世紀まで
カンボジアでは真臘の流れを受け継いだ
アンコール朝による支配の時代が続いていました。
真臘はカンボジア国家の起源とされていて、
6世紀に成立したといわれています。

14世紀~19世紀
14世紀以降、カンボジアは
タイやベトナムの攻撃によりその国力が衰退。
1884年にはフランスに占領され、
フランス領インドシナの一部として支配されます。

20世紀前半
カンボジアを支配していたフランスはドイツに敗れ、
ドイツの同盟国であった日本は、
フランス領インドシナ全域を占領します。
しかし、その日本も1945年には降伏。

独立
カンボジアは再びフランスによる支配の時代に戻りますが、
間もなくノロドク・シハヌーク王による独立運動が始まります。
その後、様々な権利が回復し、
1953年、カンボジアはカンボジア王国として
フランスからの独立を果たしました。


内戦の時代へ
カンボジアはベトナム戦争の影響を受け、
長い内戦状態に入ります。
このころからカンボジアに地雷が設置され始めた
と言われています。
1970年にはロン・ノルをはじめとする親米派のクーデターにより、
カンボジア王国はクメール共和国となります。

ポル・ポトの独裁
樹立後間もなく、クメール共和国は
共産主義派のポル・ポト派との内戦に突入。
1975年、ポル・ポト派は内戦に勝ち、ポル・ポト政権が成立し、
ポル・ポトによる独裁政治が始まります。

ポル・ポト政権は大規模な改革を行う一方で、
知識人の処刑など自国民の大量虐殺も行ったといわれています。

ポル・ポト政権崩壊
ポル・ポト政権は3年8カ月の独裁の後、ベトナム軍の進行により崩壊。
ベトナムの支援を受けたプノンペン政権が成立しますが、
今度はプノンペン政権、ポル・ポト派、
シハヌーク派、ソン・サン派の4派による内戦状態に入ります。

この内戦でもカンボジアでは大量の地雷が
使用されたと言われています。

再びカンボジア王国へ
1990年、東京では「カンボジアに関する東京会議」が開催されました。
さらに、翌年の1991年には、パリの和平会議において、
カンボジア和平協定が調印。
そして1993年には新憲法が発布され、
統一政権として再びカンボジア王国が樹立されました。

このような経緯を経て、カンボジアは現在の姿に至ります。
しかし、内戦によって設置された地雷の数は
推定400万-600万個とも言われています。

カンボジアスタディーツアーでは
この大量の地雷を抱えたカンボジアに実際に行き、
地雷から平和について考えて行くというプログラムです
この記事を読んでカンボジアについて興味を持った方は
是非スタディーツアーにご参加して、
直接行かなければ分からないものを感じてみてください
カンボジアスタディーツアーについてはこちら

参照:テラ・ルネッサンスシャンティ国際ボランティア会
NPO法人21世紀のカンボジアを支援する会CIESFATIカンボジア

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました

(つじい)
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